1703年12月31日

元禄地震

M8.1 / 相模トラフ

名前 元禄地震

日時 1703年12月31日

震源 相模トラフ

緯度 北緯35度

経度 東経140度

規模 M8.1

深さ 20km

出典 [1] [2]

古文書から推定された元禄地震の震度分布。宇佐美(2010)(2013)による。

概要

  • 1923年関東地震を超える、相模トラフで発生したM8クラスの巨大地震[3]
  • 神奈川・千葉で地震の被害が大きく、小田原城から川崎までの東海道の宿場はほぼ潰れた[3]
  • 房総・伊豆では津波の被害が大きく最大で10m超、鎌倉でも8m[3]

詳細

相模・房総で震害が大きく、房総半島・伊豆半島では津波の被害が大きかった。小田原城中・城下はほとんど全滅、潰家約900余、死者約840、地震後12か所から出火、約500棟焼失した。領内で潰家約8,000、死者2,300。箱根では山崩れや崖崩れが多く、道を塞いだ。箱根町で潰家95、番所も破損。三島側が被害は軽かった。小田原から川崎までの宿々はほとんど潰れた。厚木で家おおかた潰れ、死者59。大山では一山坊まで山崩れ、死者100。鎌倉で寺・社・民家の潰・破損が多かった。江戸では城中櫓・橋・石垣・塀等の被損が多く、諸大名屋敷・寺社・町屋の被害も多かった。房総では地震の被害と津波の被害をはっきり区別しにくい史料もあるが、地震による潰家が津波による流失家屋の2倍以上あったらしい。わかっているだけで、潰家・流失家屋あわせて約1万7千、死者4,000。甲斐国で死者83、甲府は城内および町在で潰家134、郡内で潰家211、信州小県郡で潰家12、伊那・松代で潰家があった。袋川村〈越谷市〉で堤が破損した。西の方は金屋〈金谷〉の関までは被害があったが、それより西では被害はなかったらしい。金沢・富山(強かった)・京都で有感。日光では石燈籠が少し倒れただけ。津波は小名浜から下田に至る沿岸を襲った。推定波高は外房では九十九里浜で5〜6m(海岸から2〜3km浸水)、外房南部では10mに達したところもあり、安房南部で5〜6m。安房小湊村・市川村で570軒流失。誕生寺門前で死者100、御宿で潰家440、死者20余。千倉では8町〜1里干潟となった。東京湾内の品川・霊岸島・江戸橋等にも津波が来た。鎌倉では二の鳥居まで津波が来た、波高8m。松輪〈三浦市〉で溺死25。伊豆では久須美〈伊東〉(推定波高8〜12m)で死者163、このあたりで波が10丁ほど陸に上がった。宇佐美(10m)で死者360〜380、川奈(8m)で家流失200余、下田では家流失皆潰332、半潰160、死者27、破船81。伊豆大島岡田で家58、船18流没、死者56。波浮池は海とつながった。八丈島も津波に襲われ死者1。紀伊半島三輪崎で波高5m。[三河渥美半島・釜石にも津波が来た。]三浦半島先端部、房総半島南部では隆起が著しかった。[3]

周辺で起きた過去の地震

参考文献

1.宇佐美龍夫・石井寿・今村隆正・武村雅之・松浦律子(2013):日本被害地震総覧599-2012,東京大学出版会,82-83.

2.宇佐美龍夫(2010):わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図(改訂版),日本電気協会.

3.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.

4.羽鳥徳太郎(1975):九十九里浜における元禄16年 (1703年) 津波の供養碑,地震 第2輯,28,1,98-101.

5.都司嘉宣(1981):元禄地震・津波(1703-12-31)の下田以西の史料状況,地震,34,3,401-411.

6.神奈川県(1985):神奈川県地震被害想定調査報告書(津波水害).

7.羽鳥徳太郎(2006):東京湾・浦賀水道沿岸の元禄関東(1703)、安政東海(1854)津波とその他の津波の遡上状況,歴史地震,21,36-45.

8.都司嘉宣(2013):元禄関東地震津波(1703)の伊豆半島沿岸での浸水高,津波工学研究報告第,30,69-86.

9.内閣府(2013):1703元禄地震報告書.

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