1927年03月07日18時27分
北丹後地震
名前 北丹後地震
日時 1927年03月07日18時27分
震源 京都府北部
緯度 北緯35.63度
経度 東経134.93度
規模 M7.3
深さ 18km
出典 [1]
北丹後地震の震度分布。気象要覧(1927)による。
概要
- 京都府北部(丹後半島)で発生したM7.3の直下型地震[1]
- 死者2,925人、家屋全壊5,145棟、全焼5,459棟。峰山町を中心に全壊率70〜90%の帯状の被害域が生じた[3]
- 郷村断層(約18km)と山田断層(約4km)の2断層が出現し、最大水平変位約2.7mを記録[3]
詳細
主な被害は丹後半島頚部の約150km²の範囲に集中した。最も震害の著しかったのは、北は網野町下岡から南は〈峯山町〉長岡に至る約10km、幅2km足らずの帯状の地域及び南方の岩滝辺から〈野田川町〉幾地に至る約4km、幅1km弱の地域で、それぞれ後述の2断層に沿っている。これらの部分では家屋全潰率が70〜90%を示した。普通木造住宅の「2階の部屋は四囲を堅固に廻らすが階下は壁体少なく、とくに階上は雪国の習慣として重みある物品の冬季貯蔵場とするため耐震価値が著しく低い」ことが被害を大きくした一因と指摘されている。家屋の倒壊・移動方向は大部分郷村断層に直交する。京都府下で死2,898、住家全潰4,899。米子で家屋倒壊2、西伯郡で土蔵倒壊1、淡路島北部で土塀崩壊、家屋小破。滋賀・岡山・福井・徳島・三重・香川・奈良で小被害。全体で死2,925、家屋全潰(非住家250以下を含む)5,149、全焼6,459。火災が多く、城崎・豊岡・峰山・島津村〈網野町〉・市場村〈野田川町〉では大火災となった。山間部では山崩れ・崖崩れ、平野部では噴砂等の地変が多かった。土地の隆起・陥没も著しく、小浜〈網野町〉では、離湖北端の街道が1町ほどにわたって2か所で湖中に約5尺陥没、家屋3戸沈没。さらに東方で桑畑・葡萄畑数百坪湖中に没し、湖中の離島も沈下。砂丘地方で地すべり、島津村遊のものは400×100m²の地をおおった。郷村・山田の2断層を生じた。郷村断層は走向北々西−南々東の左横ずれ断層で長さ約14kmの雁行状に配列する数条の亀裂帯として現れたが、北々西の海中にほぼ同じ長さ延びているものと推定されている。断層の西側が最大2.5m南方に変位し、最大0.5m隆起。山田断層は走向東北東−西南西、全長約9km、南側隆起・右ずれともに0.7m程度であった。断層周辺の地殻変動・余震の立体分布のくわしい研究が行われた。地震の約2.5時間前に三津・砂方等の沿岸が隆起したという。さらに浜坂村夕日港から網野にかけて隆起し、夕日港で約80cm。小津波あり、円山川河口津居山港で高さ30cm。[3]
周辺で起きた過去の地震
参考文献
1.気象庁:震度データベース検索.
2.中央気象台(1927):気象要覧,昭和2年3月.
3.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.