1498年09月20日

明応地震

M8.3 / 南海トラフ

名前 明応地震

日時 1498年09月20日

震源 南海トラフ

緯度 北緯34度

経度 東経138度

規模 M8.3

深さ 不明

出典 [2]

古文書から推定された明応地震の震度分布。宇佐美(1986)による。

概要

  • 南海トラフ東側で発生したM8クラスの巨大地震か[2]
  • 紀伊半島から房総にかけての沿岸と山梨で地震が強く、京都では余震が1月以上続いた[2]
  • 津波は紀伊から房総までの沿岸を襲い、静岡県で被害が大きかった[2]

詳細

紀伊から房総にかけての沿岸地方と甲斐で震動が大きく、熊野本宮の社殿が傾れ、那智の坊舎が崩れた。遠江では山崩れ、地割れができた。湯の峯温泉は10月8日まで湧出が止まった。京都では余震が閏10月まで続いた。津波は紀伊から房総までの海岸を襲い、被害が大きかった。伊勢大湊で家屋流失1千、溺死5千。大湊領塩屋村では180余戸ほとんど全滅して生き残った者はわずか4〜5人。伊勢・志摩で波高6〜10m程度、溺死1万。遠州灘・駿河湾沿岸で被害が大きかった。波高は駿河湾内江梨〈沼津市〉・小川〈焼津市〉で8m[水死2万6千]。西伊豆仁科郷では津波は海岸から18〜19町の内陸に達した。鎌倉では波が八幡宮参道に達し、流死者200。安房小湊の誕生寺が流没した。浜名湖岸が切れて船が海に通ずるようになった。今切という。〔明応8.6.10.暴風雨・永正7.8.8.・7.8.27.風津波 等によって生じたとの説もある〕。尾張国府跡などで発見された噴砂跡はこの地震による可能性がある。東海沖の巨大地震とみられる。[2]

周辺で起きた過去の地震

参考文献

1.宇佐美龍夫ほか(1986):東海沖四大地震の震度分布(明応・宝永・安政東海・東南海地震),地震予知連絡会会報,35.

2.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.

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