1854年12月23日09時ごろ

安政東海地震

M8.4 / 遠州灘

名前 安政東海地震

日時 1854年12月23日09時ごろ

震源 遠州灘

緯度 北緯34度

経度 東経137.8度

規模 M8.4

深さ 不明

出典 [1]

古文書から推定された安政東海地震の震度分布。宇佐美ら(2013)による。

概要

  • 南海トラフ東側で発生したM8クラスの巨大地震で、32時間後に西側で安政南海地震が発生[2]
  • 地震は静岡県の沿岸が最もひどく、東海・甲信でも大きな被害[2]
  • 津波は伊豆半島〜紀伊半島が被害著しく、房総から四国の沿岸まで襲った[2]

詳細

震害の最もひどかったのは沼津から天竜川河口に至る沿岸地方。各地で火災があった。中山・掛川では全潰、袋井も9割方潰れ、死者200。駿府で城の石垣崩れ、潰家が多く、人口2万余のうち死者200余、焼失600。甲府から松本・松代にかけても被害が大きく、甲府で町屋7割方潰れ、死者150、松本潰家52、死者5、松代藩で潰家152、死者5。福井で城内の櫓・塀等大破し、領内で潰家約240、死者4。江戸では丸の内辺が強く、家屋に小被害。津波が房総から土佐の沿岸を襲った。被害の著しかったのは、伊豆下田・遠州灘・伊勢・志摩・熊野灘沿岸。下田では震後約1時間で津波来襲、推定波高約6m、984軒中927軒流失、死者122、停泊中のロシア軍艦ディアナ号が大破し、27日に沈没した。伊豆西岸で4〜6m、戸田(へだ)で死者30。津波波高は駿河湾北東奥の内浦湾・江浦湾で6〜7m。駿河湾西岸4〜6m、相良付近田沼領40か村で700軒全潰、残り半潰。津波波高御前崎付近5.5m、遠州灘沿岸3〜6m、新居で800戸中40戸全潰、舞坂流失8、潰8。三河吉田領で家屋倒壊650余、死者25(うち水死11)。尾張領で死者4、家倒壊・流失約4100、伊勢大湊5〜6m、志摩から熊野灘沿岸5〜10m、和具〈志摩町〉死者36、甲賀で流家134、水死11、錦〈紀勢町〉で死者9。紀伊長島流家480余、水死23、尾鷲流家640余、水死201、新鹿〈熊野市〉流家水死者多数〔死者4〕。江戸でも山谷堀の水位が1mくらい高くなったという。北米沿岸にも達し、サンフランシスコで振幅1フィート弱。清水から御前崎付近まで1〜2m隆起、清水では港が使えなくなり、相良では数十間干潟となった。浜名湖北岸の気賀では2800石の地が潮下となり、三河幡豆郡吉田などの村々も沈下した。駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖の一帯を震源域とする巨大地震。[2]

周辺で起きた過去の地震

参考文献

1.宇佐美龍夫・石井寿・今村隆正・武村雅之・松浦律子(2013):日本被害地震総覧599-2012,東京大学出版会,156.

2.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.

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