1854年07月09日01時ごろ
安政伊賀上野地震
M7.1 / 三重県中部
名前 安政伊賀上野地震
日時 1854年07月09日01時ごろ
震源 三重県中部
緯度 北緯34.75度
経度 東経136.1度
規模 M7.1
深さ 20〜30km
出典 [3]
古文書から推定された安政伊賀上野地震の震度分布。宇佐美ら(2013)による。
概要
詳細
6月12日ころから前震があった。15日0〜2時ごろ本震、6〜8時ごろ最大余震があったようだが、地域によっては、ほぼ同じように感じあるいは後者を強く感じたらしい。伊賀上野から奈良・大和郡山にかけての地域で被害が著しく、伊賀上野町方で全壊460余、死者130、郷方で全壊1,400〜1,800、死者460余、奈良で全壊約500、死者60余〔300余〕、大和郡山全壊約150、死者120〜130。四日市でも被害が多く、全壊300〜400、死者約80、焼失60余、焼死約60、木曽川、町屋川、朝明川、鈴鹿川等の土手に裂け目ができたり、沈下したところが多かった。紀伊半島沿岸の住民は津波の心配をしたという。馬籠付近で往還を損じた。宮津でかなりゆれ、広島で有感。上野の北方で西南西−東北東の方向に断層を生じ、南側の長さ約1km、幅約200mの地域が最大1.5m沈下したという。木津川断層系から発生した地震と考えられる。[2]
周辺で起きた過去の地震
参考文献
1.宇佐美龍夫・石井寿・今村隆正・武村雅之・松浦律子(2013):日本被害地震総覧599-2012,東京大学出版会,156.
2.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.
3.松浦律子・中村操・茅野一郎・唐鎌郁夫(2006):[講演要旨] 江戸時代の歴史地震の震源域・規模の再検討作業-7年間の成果中間報告-,歴史地震,21,255-256.