1898年12月4日01時45分
熊本県東部の地震
名前 熊本県東部の地震
日時 1898年12月4日01時45分
震源 熊本県東部
緯度 北緯32.7度
経度 東経131.1度
規模 M6.7
深さ 150km
出典 [2]
1898年12月4日 熊本県東部の地震の震度分布。官報(1898)による。
概要
- 熊本県東部で発生したM6.7のスラブ内深発地震[2]
- 熊本・大分を中心に強く揺れ、西日本の広い範囲で有感となった[3]
- 球磨郡人吉町(現・人吉市)では屋壁に亀裂が入り鴨居が降下するなど、明治22年の熊本地震を上回る揺れとなった[3]
詳細
4日午前1時45分、肥後(熊本)東部から豊後(大分)西部にかけてを震源とする強震が発生した。九州内部で発生した地震としては頗る稀有な規模であり、震域は甚だ広く、西南は海を越えて遠く奄美大島に達し、北部は対馬、東部は福井あるいは名古屋に及んだ。総面積は約1万200方里、長径300里・短径150里に及んだ。強震域は約1600方里で、肥後・豊後(各全部)、日向(北東8割)、筑後(南9割)、豊前(南4割)、肥前(南2割)がこれに属する。弱震域は筑後・豊前・日向・肥前・薩摩・大隅・筑前・長門・周防・石見・安芸・備後・備中・出雲・阿波・讃岐・伊予・土佐・淡路・紀伊・伯耆などで約5000方里。微震域は奄美大島・壱岐・対馬から越前・美濃西部・三河中央に至る線以西一帯で約3600方里であった。今回の地震は明治22年に熊本地方で発生した地震とはまったく震源を異にし、肥後東部から豊後西部において強く揺れ、日向南半部でも多少の損害を生じた。大分測候所の観測では、午前1時45分28秒に発震し、5秒後に最大水平動となり、北東・南西方向に振動期1.1秒・全振幅30.0mmを記録した。その後17秒間にわたり15回の往復振動を示し、1分35秒で静止した。新旧を問わず建物の揺れは甚だしく、古い土蔵や家屋の破損が数棟に及んだ。熊本測候所の観測では、午前1時49分27秒に急微な上下・水平両動で始まり、水平動は87秒後に最大震動に達し、北東・南西方向に振動期1.5秒・全振幅21.51mmを示した。上下動はそれより2秒遅れて最大に達し、振動期0.7秒・全振幅1.1mmを記録した。33秒後に水平動が再び増強し、東西方向に全振幅8.4mmを示した後、3分39秒で静止した。熊本市では近来まれな強震で、人々が戸外に逃げ出すに至った。特に球磨郡人吉町(現・人吉市)では振子時計がほぼ停止し、屋壁に小亀裂が生じ、鴨居が降下した箇所もあり、明治22年の熊本大震よりもかえって強烈であったという。宮崎測候所でも極めて強い揺れが記録され、発震後2.5秒で上下動が最大(振動期0.5秒・全振幅9.8mm)に達し、さらに1.3秒後に水平動も最大(西北西・東南東方向、振動期1.0秒・全振幅9.8mm)となり、2分04秒で静止した。当地でも近年まれな強震で液体の溢出が多く、染物屋などで損害があった。東臼杵郡岡富村でも棚の器物が転倒し、陶器店・ガラス店で商品が毀損、古い家屋・土蔵の壁に亀裂が生じるなど小損害を被ったが、著しい家屋の倒壊には至らなかった。これまで日向地方の局所的な地震は震源が主に日向灘にあり、強い被害をもたらすことはなかったが、今回は九州の背梁山脈東側で揺れが特に強く、建築物に損害を及ぼした。地面に著しい亀裂や陥没は認められなかったものの、震源が内陸に存在したことは明らかで、おそらく九州を南北に縦断する断層線に沿って地面の一部に若干の変動を生じたものと考えられる。阿蘇・霧島等の火山脈には何ら異常はなく、温泉の泉質・泉量も平常と変わらなかったことから、火山活動とは無関係であったとみられる。[3]
周辺で起きた過去の地震
参考文献
1.官報(1898):第4631号,明治31年12月6日,69.
2.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表.地震の事典,2,朝倉書店,574-637.
3.中央気象台(1898):顕著地震概況,明治三十一年地震報告,中央気象台年報,74-76.