1982年3月21日11時32分
浦河沖地震
名前 浦河沖地震
日時 1982年3月21日11時32分
震源 浦河沖
緯度 北緯42.07度
経度 東経142.6度
規模 M7.1
深さ 40km
出典 [1]
1982年3月21日11時32分 浦河沖地震の震度分布。気象庁による。
概要
- 浦河沖を震源とする深さ40km、M7.1の大地震[1]
- 浦河町潮見(旧)で震度6を観測[1]
- 死者はなく負傷者167名、住家全壊13棟、半壊28棟の被害[2]
- 本震の約4時間前から前震が5回。三石町・静内町の境界付近で最大約16cm隆起[3][5]
詳細
1982年3月21日11時32分、浦河沖を震源とする深さ40km、M7.1の地震が発生した。北海道浦河町で最大震度6を観測した。
被害は大部分が日高支庁、とくに中部の浦河町・静内町・三石町の沿岸部や河川沿いの平野部で発生し、約100km離れた札幌・石狩支庁でも若干の被害があった。全体で住家全壊13棟、半壊28棟、非住家全壊14だった。鉄筋コンクリート建築物は大破以上のものはなかったが、3町で22〜24%に構造的被害があった。公共施設の被害がかなり多く、文教施設で被害を受けたものは127にのぼり、石狩支庁で57に及んだことは、古い建物が多かったことと深い泥炭質地盤によるものと考えられる。静内大橋が大破し、小津波があって、浦河で最大全振幅165cm、八戸で56cmを記録した。死者はなく、負傷者167名だった。[2]
本震の約4時間前から前震が5回観測され、最初のM4.9が最大だった。本震の約3か月前から、震源域とその周辺の地震活動が低下したのち、周辺、続いて震源域内でも活動が復活する経過をたどった[3]。最大の余震は同日19時22分のM5.8で、余震は標準的な場合よりやや多いものの、順調に減衰した[3]。日高支庁を中心とする被害は、北海道警察本部の調べ(3月30日現在)で負傷者167人、家屋全壊9棟、半壊16棟とされ、札幌管区気象台の現地調査では、三石町の西端や西浦里の地区も浦河町と同じ震度6だったと推定されている[4]。津波は北海道・東北・関東の太平洋岸で観測され、最高は浦河港の80cmで、被害はなかった[4]。国土地理院の水準測量では、幅約50kmにわたって隆起し、最大の隆起量は三石町と静内町の境界付近で約16cmだった[5]。
周辺で起きた過去の地震
参考文献
2.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.
3.本谷義信(1982):1982年3月21日浦河沖地震(M7.1),地震予知連絡会会報,28,8-13.