1891年10月28日6時38分ごろ
濃尾地震
名前 濃尾地震
日時 1891年10月28日6時38分ごろ
震源 岐阜県西部
緯度 北緯35.6度
経度 東経136.6度
規模 M8.0
深さ 0〜30km
出典 [2]
アンケート調査による濃尾地震の震度分布。村松・小見波(1992)による。
概要
詳細
わが国の内陸で発生した最大級の地震。岐阜県根尾川流域と濃尾平野北部で被害がはなだしかった。根尾川谷沿い諸部落では住家全潰率100%のところが多いが,少し離れると部では家屋倒壊の多いところは面的に広がり,住家全潰率岐阜県羽栗郡93%・中嶋郡94%・安八郡89%・稲葉郡などが70%を超えるところが多い。愛知県内でも全潰率70%を超える地域が広がる。これは,第一に地盤の悪さに起因するが,後述のようにこの地域の地下に断層を生じたのであろうとする考えもある。福井県でも大野・今立・足羽郡下で被害多く,本田川郡では倒壊数2,155,荻田郡で1,418,山形県全体で家屋全潰3,858,全壊2,148,死726。愚田で全潰39[35],半潰473,荻田市では全部または全部に用いた建物が多かった。全体で家屋全潰418 [422],死12。南西諸島から岐阜県測候所で史上最大の地震で,中部地方西半まで有感。 16 km,左ずれ最大3m,南西側隆起最大1.8m,根尾谷断層東端北側の,金原付近からほぼ東に,坂祝に至る延長26 kmの梅原断層を生じた。左ずれ最大5m,南西側隆起2.4m,くわしくみると,いくつかの断層が断行状に変位している。被害・地変分布等から,地表には現れなかったが,金原付近から南南東に延び数草・尾張一宮を経て名古屋北方に至る断層が動いたと推定する考えもある。余震は数十年間続いた。主部は長さ約2.5km 隆起,北方延長区(福井県内)に温見断層,延長31 km,変位は中央部で大きく,左ずれ最大8m,南西側隆起最大4m,その北西延長部(福井県内)に,いくつかの中小断層がある。[2]
周辺で起きた過去の地震
参考文献
1.村松郁栄・小見波正隆(1992):濃尾地震(明治24年)当時のアンケート調査回答集.防災科学技術研究資料,155,1-841.
2.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表.地震の事典,2,朝倉書店,574-637.