1933年3月3日02時30分
昭和三陸地震
名前 昭和三陸地震
日時 1933年3月3日02時30分
震源 三陸沖
緯度 北緯39.13度
経度 東経145.12度
規模 M8.1
深さ 0km
出典 [1]
昭和三陸地震の各地の震度。気象庁震度データベースによる。
概要
- 日本海溝の外側(アウターライズ)で発生したM8.1の巨大地震(正断層型)[1]
- 大津波が三陸沿岸を襲い、死者・行方不明者3,064人、家屋流失・全壊7,563棟[2]
- 地震動の被害は比較的小さく(最大震度5)、津波による被害が甚大であった[2]
詳細
日本海溝直下の太平洋プレート内で発生した正断層型の巨大地震。地震による被害は少なく、壁の亀裂、崖崩れ、石垣・堤防の決壊があった程度。地震後約30分〜1時間の間に津波が北海道・三陸の沿岸を襲い、大きな被害をもたらした。波高は北海道沿岸1〜5m、青森県沿岸3〜7m、岩手県沿岸4〜30m、宮城県沿岸1〜21m、福島県沿岸1m。〈三陸町〉綾里湾23〜29m、〈宮古市〉白で23mに達した。岩手県田老で戸数362、人口1,798のところ、358軒流失死763。小本で戸数145、人口792のところ、流失77、死118。全体で死1,500余(約90%が岩手県下)、行方不明1,500余、家屋倒壊1,121〔2,300余〕、流失2,914〔4〜5千〕、船舶流失破損約5900。津波は太平洋を越え、ハワイ島コナで波高3m、小被害を伴い、カリフォルニアで10cm、チリのイキケで20cm。東北地方各地で地鳴りや、大砲のような音を聞いた。津波によるものとの説もあるが、本震及び余震に伴う地鳴りと見なす見解もある。また、各地から発光現象の報告があった。三陸沿岸で津波に伴い波の山が光ったりした。発光性プランクトンが原因だという説もある。底着性珪藻類が地震に先立って海面に出現したという。三陸沿岸では2月頃から井戸水が減じたり、2日前から潮位が低下したと報告されている。明治29年の津波の教訓を生かしたところでは、被害が少なかった。また、この津波の後、集落の高地への移転・防潮堤・防潮林・避難道路の建設等を行ったところが多い。[3]
周辺で起きた過去の地震
参考文献
1.気象庁:震度データベース検索.
2.宇佐美龍夫ら(2013):日本被害地震総覧 599-2012,東京大学出版会.
3.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.