1855年11月11日22時ごろ
安政江戸地震
名前 安政江戸地震
日時 1855年11月11日22時ごろ
震源 東京湾
緯度 北緯35.6度
経度 東経140度
規模 M7.0
深さ 70km
出典 [2]
古文書から推定された安政江戸地震の震度分布。宇佐美ら(2013)による。
概要
詳細
江戸下町ではげしく、本所・深川・浅草・下谷・神田等でとくに被害が大きかった。山手は比較的軽かったが、土蔵の被害は多かった。町屋の死者4千前後、潰家約1万4千。江戸城でも、石垣が崩れ、住居の破損・潰が多かった。大名(1万石以上)屋敷で届出のあった死者は2千余であるが、武家屋敷全体では7千〜1万5千くらいであろうという推定がある。266藩のうち117藩の大名屋敷で圧死または焼死者延べ1860人を出した。そのうち、出火した23藩でとくに多く、死者994人に上った。旗本・御家人の約80%(約17500)の家に焼失・全壊・半壊・大破の被害があった。地震後30余か所から出火、幸い風が静かであったため半日後には鎮火した。焼失面積2.2平方キロメートル。第二台場で火薬爆発、死者20。四ッ谷で玉川上水の樋が崩れて出水。亀有では田畑に小山や沼ができて、損所3万石。近国ではたとえば、佐倉領(印旛・埴生・千葉郡)で百姓家潰21軒、幸手領村々家数5041軒中皆潰17軒、松戸宿潰家33、死5、柏は被害なし、木更津では潰家は2〜3だが土蔵潰半潰破損多く、死者2。川崎領15か村1726軒中皆潰、居宅18軒。吹上・熊谷でも潰家あり。日光で石柵等破損。埼玉県入間郡等で山崩れがあった。地下の軟らかい所、旧河川跡等で被害が多いことが気づかれている。この地震による噴射が江戸城外堀跡で見つかっている。深川蛤町・木更津で海水の動揺があったという。津軽・宮津・〈岡山県和気町〉・杵築(?)で有感。地震前に神田平永町・浅草蔵前(9月21日)で水が湧出したといい、深川では当日昼井戸を掘っていたが地底が鳴り仕事にならなかったという。発光現象の記事が多い。[3]
周辺で起きた過去の地震
参考文献
1.宇佐美龍夫・石井寿・今村隆正・武村雅之・松浦律子(2013):日本被害地震総覧599-2012,東京大学出版会,156.
2.松浦律子・中村操・唐鎌郁夫(2008):[講演要旨] 江戸時代の歴史地震の震源域・規模の再検討作業-1718年伊那の地震など8地震について,歴史地震,23,143.
3.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表,地震の事典,2,朝倉書店,574-637.