1952年03月04日10時22分
十勝沖地震
名前 十勝沖地震
日時 1952年03月04日10時22分
震源 十勝沖
緯度 北緯41.71度
経度 東経144.15度
規模 M8.2
深さ 54km
出典 [1]
1952年十勝沖地震の震度分布。十勝沖地震調査委員会(1954)による
概要
- 千島海溝の十勝沖で発生したM8クラスの巨大地震[2]
- 十勝平野などで地震の被害が大きく、大津・浦幌・豊頃では全半壊家屋が50%超[2]
- 津波が北海道から東北の太平洋岸を襲い、厚岸6.5m、霧多布では3mで流氷が家を壊した[2]
詳細
千島弧最南部のプレート間巨大地震。十勝地方、とくに十勝川・大津川下流域で震害が大きく、大津〈浦幌町〉・浦幌・豊頃では全半壊家屋が50%を超えた。釧路では炭鉱のズリ山が崩れ(24000m³)、死8、傷7、家屋埋没2棟、一部倒壊2棟。サイロの被害が多く、全壊90、中壊55、池田町付近では58の中52に被害があり、そのうち約2割が倒壊。橋の被害は13、128、流失69と諸説あるが、永久橋の桁の落下はなかった。鉄道橋は古い設計で下部構造がれんが造のものが多く、被害が顕著で、橋梁変状92に達した。脱線も4件あり、浦幌付近では22両編成の貨物列車の14両が脱線転覆した。北海道内の震度、地鳴り、井戸水・温泉の変化、地変の分布がくわしく調べられた。水の変化は全道にわたっている。北海道東部および日高地方に地割れ・隆起・陥没・崖崩れ等の地変を生じた。新冠駅北方約1.5kmににある大小8つの泥火山のうち最南のものが地震時に活動し、頂部に径15m内外の亀裂地帯を生じ、その中心に径80cm、高さ60cmのドーム状の噴泥塔を生じた。津波が北海道・東北地方の太平洋岸を襲い、浜中・厚岸で被害が大きかった。波高は厚岸6.5m、霧多布3m強。霧多布では津波は琵琶瀬湾から浜中湾に通りぬけた。このとき琵琶瀬湾の流氷が割れて、氷片が押し寄せ、家を壊した。八戸波高2m。漁船の被害のほか、漁網、海苔・昆布・牡蠣等の養殖施設の被害が大きかった。被害は全体で死28、行方不明5[1]、傷287[621]、家屋全壊815[1,614]、半壊1,324[5,449]、流失91、浸水328[399]、全半焼20[焼失15]、船舶の沈没3、流失47[滅失102]、破損401[修理不能186、修理可能480]、道路破損31。阿寒は前年7月30日から鳴動を始め、この年1月中旬まで続いた。2月中はほとんど鳴動を起こさなかったが、この地震から約34時間はほとんど連続的に鳴動を発生した。[2]
周辺で起きた過去の地震
参考文献
1.気象庁:震度データベース検索
2.茅野一郎・宇津徳治(2001):日本の主な地震の表.地震の事典,2,朝倉書店,574-637.
3.十勝沖地震調査委員会(1954)「十勝沖地震調査報告 1952年3月4日」.